2025年11月1日の日記|清井めぐみ
昨年の今頃、祖母が数ヶ月の入退院を経て、亡くなりました。90才でした。
終戦を迎えたのは小学生の頃、日本は戦争に勝つと教えられ、ひとつも疑わなかったと。都会の子より、田舎の子は食べ物があるから幸せだったとも言っていた。
見合いの末、ひと足先に亡くなった祖父と結婚し、姑を介護し、農業の傍ら二人の娘を育てました。山間部の厳しい冬、冷たい水で、家族の朝食の準備片付けなど、家事一切をする間、祖父が農作業の準備を黙々と行い、『いくかえ?』の祖母の合図でヒノの二トン(っぽい車)で、一斉に畑に出かけていきます。子供の頃、こたつから首だけだして、その光景を眺めていました。大人たちが出ていった後の部屋は急に静かになり、石油ストーブの上のやかんの湯気と、柱時計の振り子の音だけになります。
姑に仕え、夫に尽くし、家を守る昭和の嫁の鑑であったようです。
祖母は農作業の繁忙期、『こんなことなら、勉強して公務員になっとけばよかった』とこぼしていました。県職員となり5年目、薄給で、ストレスも多いし、そんなに楽でもないですが、炎天下や極寒の作業にくらべれば、大したことがないかもしれません。
今年、祖母の半分の年齢になりました。残りの時間をどう生きるか、答えはありません。
我が国に初めて女性リーダーが誕生した今年、家族を支える人、子育てとバランスをとりながら働く人、仕事に打ち込む人、みんな輝く日本になればいいなと思います。
写真は、娘の力作のヘチマです。
乳腺外科
2025.11.01 Sat 00:00