2026年7月15日の日記|中谷升一
最近、長く育てていた草のひとつが枯れてしまった。
振り返ってみると、AIのアドバイスを参考にして水やりのタイミングを変えたり、植え替えを試みたりしたことが影響していたのかもしれない。もちろん、何もしなくても同じ結果だった可能性はある。
それでも、生きようとしていた小さな新芽まで茶色く萎れているのを見たとき、「もう少し様子を見てあげてもよかったのではないか」という思いが胸に残った。
私たちは何かを判断するとき、実は想像以上に多くの”カロリー”を消費している。例えば、同じ情報でも、「誰が言ったか」「どんな文脈で語られたか」によって受け取り方は大きく変わる。そうした手掛かりを利用することで、私たちの脳は情報処理の負荷を減らしているのだ。
医師という仕事は、この「誰が言うか」の影響を強く受ける立場でもある。だからこそ、「正しく伝わるだろうか」「余計なイメージで色付けされていないだろうか」と、日々気を配らなければいけない。
こうした判断にかかる負荷は、診療だけの話ではない。昼食に何を食べるかなど、日常の小さな選択にも常について回る。だからこそ私たちは、便利な道具に助けを求めたくなる。
しかしながら、AIを使うということは、便利さと引き換えに、判断の一部を肩代わりしてもらうことでもある。
どの情報を拾い、どれを捨て、何を重視するか。その整理を、ボタンひとつで肩代わりしてもらえるのは非常に魅力的だが、最終的にその判断を採用したのは自分自身であり、その結果に責任を持つのもまた自分自身であることは、忘れてはいけないのだと思う。
AIは日々進歩を続け、私たちの生活そのものを変え始めている。もはや、その流れは後戻りできないところまで来ているのかもしれない。ただ、今回の出来事は、「もっと考えて選びたい」「納得できる判断を積み重ねたい」という、私の勉強へのモチベーションを押し上げてくれた。
AIに判断の一部を委ねられる時代だからこそ、自分で判断する価値は、これまで以上に大事にしていきたいと感じた。
もうすぐ子どもが生まれる。
その子が生きる時代には、AIはさらに身近になり、今では想像できないほど多くの判断を支えてくれるだろう。
それでも、最後の一歩だけは、自分で選んでほしい。
小さな新芽のように頼りなく見えたとしても、自分の意思で考え、自分の足で一歩を踏み出せる人になってくれたら。それが、親として願うことなのだと思う。
枯れた草の鉢を片付けながら、そんなことを考えていた。

呼吸器外科
2026.07.14 Tue 17:01